バイオ茶の宮崎上水園

創業明治二十九年 バイオ茶の宮崎上水園

STORY 宮崎上水園のお茶づくり 「急がず、休まず、怠らず」

Vol.16

バイオ茶が結んだ、里山家とのご縁

静養のために選手を預かってもらえないか。1990年、都城商業高校の川上善正先生から、そんなお願いがありました。やって来たのは、三田工業女子陸上部の里山弘美選手。宮崎女子ロードレースの練習中、腰を痛めて歩くのもようやっと。

ちょうど娘が就職活動で家を出ていたので、上水園で2ヶ月ゆっくり過ごしてもらいました。妻の手料理をおいしそうに食べる、ほがらかな里山選手はたちまち家族の一員になりました。肉体的にも精神的にも回復し、その年の北海道ハーフマラソンでは日本人トップでゴール。さらに、オーストラリア・ゴールドコーストマラソンに初挑戦、見事優勝しました。

里山選手は鹿児島県の奄美大島出身。里山家は観葉植物園を営み、タンカン栽培もしています。その後、互いに行き来し合う、家族ぐるみのお付き合いが始まりました。ソテツやビロウ樹など、さまざまな観葉植物を育て、タンカン園は3ヶ所。タンカンの糖度を上げる方法を模索されていました。実が熟す時、水を切ってやらなければ糖度はのってこない。「葉の中の水を切ること」を提案し、物理学者・原先生から譲り受けた、水を活用する独自の装置を差し上げることになりました。以降、濃密な味わいのタンカンが実り、お客様から「こんなおいしいタンカンは初めて」と感激の声が届いたそうです。

観葉植物も水の活用によって、生育が早くなり、葉もいきいきして、茶園で実践してきたことは、植物すべてに通じると実感。里山さんも水のおもしろさに魅了されていきました。奄美大島の雨はスコールのよう、瞬間的に豪雨になり、降った雨は瞬く間になくなるほど、水はけがいい。宮崎のような黒土ではなく、岩を砕いたような土。だから、逆に言えば、乾燥も激しかったのです。お互い情報交換を続け、農家同士の交流も広がっていきました。

高知や鳥取のミカン農家の方々とも、里山さんのタンカン園を訪問。上から下まで、一本の木のあらゆる位置のタンカンを食べてもらったところ、味にまったく差がなく「自分たちのミカン園ではありえない」と、みなさんカルチャーショックを受けておられました。

里山弘美選手の弟・浩作君は、初めて里山家を訪ねたとき、小学4年生。真面目で忍耐強く、九州中学校相撲大会で優勝し、高校時代は九州チャンピオンになりました。土俵に上がる直前、父・博昭さんが必ずバイオ茶を口に含ませていたそうです。「これがないと相撲は取れません」と、浩作君も言っていたそうです。決して大きな体ではありませんでしたが、日本大学相撲部を経て、元大関・増位山関が親方である三保ヶ関部屋へ。2004年3月場所、「里山」の名で初土俵。07年の十両優勝がどれほど嬉しかったか。都城巡業では、大関・豪栄道はじめ総勢7名で上水園へ。バイオ茶ポークのしゃぶしゃぶでもてなしました。19年、引退の時は断髪式に出席。今は年寄「佐ノ山」を襲名し、後進の指導に尽くしています。バイオ茶がつないだご縁がたくさんの喜びをもたらしてくれました。


休養を兼ねて上水園で過ごした里山弘美選手(左)と、川上善正先生(中央右)。
休養を兼ねて上水園で過ごした里山弘美選手(左)と、川上善正先生(中央右)
里山関の結婚披露宴にて。白鵬関や奄美大島出身の元ちとせさんも出席されていた。奥様は日大相撲部出身、アジア女子選手権で優勝した方。
里山関の結婚披露宴にて。白鵬関や奄美大島出身の元ちとせさんも出席されていた。奥様は日大相撲部出身、アジア女子選手権で優勝した方
2019年8月、里山関の断髪式にてハサミを入れた。
2019年8月、里山関の断髪式にてハサミを入れた
2016年、都城巡業の際、大関・豪栄道、豊響関と共に、里山関が上水園を訪問。三股町の早馬祭りで踊り舞う、ジャンカン馬が出迎えた。
2016年、都城巡業の際、大関・豪栄道、豊響関と共に、里山関が上水園を訪問。三股町の早馬祭りで踊り舞う、ジャンカン馬が出迎えた