バイオ茶の宮崎上水園

創業明治二十九年 バイオ茶の宮崎上水園

STORY 宮崎上水園のお茶づくり 「急がず、休まず、怠らず」

Vol.01

宮崎上水園のはじまり

明治29年(1876)、宮崎上水園は創業しました。
宮崎県茶業組合連合会議所による「都城緑茶製法伝習所」開設時、第1期生として初代・上水早助が入所しました。20歳のときです。

明治時代の茶づくりは、手もみ。
「ホイロ」といわれる、畳一枚分ほどの手もみ台を使います。炭火によって茶葉を蒸し、和紙を何枚も張り合わせた鉄板の上で、針のように細くなるまで手でよりあげます。競技会なども開かれ、上水家の茶園は何度か優勝したようで、当時の写真が残っています。

早助は京都から種子を取り寄せて、茶を植栽しました。周辺には茶園と呼べるほどの広い茶畑はなく、せいぜい畑と畑の境に茶樹を植える程度だったので、「早助が茶を畑に植える」と話題になったようです。

当時としては早助は斬新な考えの持ち主で、望遠鏡が売り出されるといち早く購入し、飛行機を見ていたと言います。日々の茶業の中、三股村役場の収入役を8年にわたって務め、1968年三股町発行「三股の今日を築いた人」にて紹介されました。

二代目・上水肇は、早助の妹・サノの息子です。出産から8ヶ月ほどでサノが他界し、肇は叔父にあたる早助のもとで育ちました。肇は、三代目・漸の父です。幼少期、骨膜炎に侵されて右足が不自由になりましたが、1951年町議初当選以来3期12年務めるなどし、早助と同様に、茶業に励みながら地域に貢献しました。

昭和に入って、茶業を受け継いだ肇は、電力の普及とともにいち早く機械製茶を導入しました。上水漸は昭和21年(1946)生まれ。幼い頃、製茶時期である4〜8月は、一晩中機械が動いていたと言います。機械導入してからは、釜炒り茶もつくりはじめ、一般家庭から製茶加工を請け負いました。自宅で摘んだ生葉が持ち込まれ、多い日には100mもの行列ができて、計っては伝票を渡していました。持ち込まれた生葉には茎まで混ざり込んでいることも多く、取り除く作業が大変でしたが、即現金収入になるため徹夜作業してでも引き受けていたというわけです。

母は朝早くからお湯を沸かし、茶摘みの人たちのためにお茶を淹れていました。熱いお茶を井戸水で冷やし、竹筒や一升瓶に入れて、茶畑へ運ぶ……。その光景が記憶に残り、のちに人生を大きく変える、水出し茶づくりにつながっていくのです。


宮崎県茶業組合連合会議所による、初代・上水早助の卒業証書
大正末期の製茶技術協議会で優勝した時の初代・上水早助(前列中央)、二代目・肇(前列右)

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