バイオ茶の宮崎上水園

創業明治二十九年 バイオ茶の宮崎上水園

STORY 宮崎上水園のお茶づくり 「急がず、休まず、怠らず」

Vol.04

挑戦のはじまり

茶葉の新芽が枯れてしまう臨界温度は、-2度。スプリンクラーで連続的に水を撒き、凍らせ続ければ、たとえ気温が-2度以下になろうとも、新芽は枯れない。

ヨーロッパで実践されている防霜対策「散水氷結法」とは、水が氷に変わるときに発せられる「潜熱(せんねつ)」を利用したものでした。「潜熱」とは液体が固体に変わるとき、また、液体が気体に変わるとき、発せられる熱エネルギーです。水が氷に変わる0度の状態であれば「潜熱」が生じ、見た目は凍っていても中まで凍らず、組織は破壊されないと言うのです。

さまざまな関係先に電話して尋ねてみましたが、「散水氷結法」の効果について、返事は「?」ばかり。けれど、益満社長を通じて、元・日本灌漑使節団副団長で、農学博士の水之江政輝先生とお会いし、スイス国立農業試験場の散水氷結法による防霜実績データを基に話し、有効性を確信。防霜ファン導入を取りやめ、スプリンクラーの設置を決めたのです。たとえ防霜に失敗したとしても、スプリンクラーがあれば労なく水が撒け、桜島が噴き上げた灰を洗い落とすにも、病虫害の駆除にも、多目的に使えると考え、決断しました。

次に立ちはだかったのは、水の確保です。茶葉を凍らせ続けるため、茶畑に水を撒き続けるとなると大量の水が必要です。自費で畑の脇をボーリングするよりありませんでした。ところが、地下40〜60mに水を通しにくい岩盤があり、1日1mも掘れない日が1ヶ月以上続きました。不透水層の下にある、被圧地下水は天気に左右されることなく水位が保たれ、水そのものが清らか。安定してきれいな水が撒けると信じ、数ヶ月かけて105mを掘ってようやく岩盤を突き破り、1981年(昭和56)冬、スプリンクラー設置に至りました。

新茶シーズンの前に、一度はテストをしておきたい。2月の極寒期、午前10時から散水を開始し、延々と撒き続けました。やがて茶樹の氷結が始まり、時間とともに厚みが増して、氷柱ができました。夜明け近く、茶園の地表はマイナス10度。氷の厚みも3cmほどになりましたが、茶株面に置いた温度計は0度付近のまま! 「潜熱」の力を目の当たりにしました。

翌日は雪がちらつく寒さでしたが、氷の塊となった茶畑には人だかりができました。「もうこの茶は枯れている」「頭がどうかしているのではないか」……そんなふうに言う人もいましたが、そのまま水を撒き続け、4日目にようやく自然に氷が溶けて、元の茶園に戻りました。凍った状態だったにも関わらず、「冬芽」と呼ばれる、新芽になる部分は無事。この時の厳しい寒さで、みかんやびわなど農作物に被害が出たとTVや新聞で報道され、冬芽が枯れた茶園もある中、難なく乗りきれたことに、どれほどほっとしたかしれません。


数ヶ月かけて自費でボーリングし、スプリンクラーを設置。

極寒の2月、水を撒き続けてつららができた茶園。