バイオ茶の宮崎上水園

創業明治二十九年 バイオ茶の宮崎上水園

STORY 宮崎上水園のお茶づくり 「急がず、休まず、怠らず」

Vol.09

日本で初めて、水出し茶を製品化

「ただ蒸気の熱を伝えて蒸しているから効率も悪いし、安定しない。物質の交代をさせなければならない」。原先生の言葉がなかなか理解できないまま、3年の年月が過ぎたときです。

ぼんやりと空を見上げると、ジェット機の航路に一直線に白い雲が浮かんでいました。初代・早助はこれが見たくて望遠鏡を買ったのか。そう思った矢先、「これだ!」とひらめいたのです。原先生の言葉と、これまで繰り返してきたことが、結びついた瞬間でした。

独自の装置を思い付き、渋みのもとである、タンニンを分解することが可能になったのです。緑茶をつくる際、通常、蒸し機に40〜60秒入れます。深蒸し茶となれば、2分近く蒸します。詳しくは言えませんが、独自の装置を使った上水園の茶葉は、茶業関係者からすれば「蒸されていない」と思えるほどの仕上がりです。けれど、製品になれば、完全に蒸されている。これまで作ってきたお茶とは、まったく違うものとなったのです。

雨天、晴天、曇天……、条件が違う中でも、完璧に装置を使いこなせるように、その後も試作を続け、とうとう4年目に、どんな硬い葉であろうとも自由にコントロールできるようになりました。1986年(昭和61)、水出し茶の完成です。

「日本で初めての、水出し茶の製品化成功ではないか」。当時の宮崎県総合農業試験場茶業支場長・有村清光さんは、そう言って驚かれました。そして、「お湯で淹れることに慣れている、日本人に浸透していくかが問題だろう」とも言われました。まったくその通り、実際、なかなか受け入れてもらうことができませんでした。

「水出し茶なのに、こんなに風味が良いとは」。そう言われた時は感動しました。一方で、「こんなのはお茶じゃない」と言う人もいました。「麦茶もあるじゃないですか!」と、反論したことを覚えています。静岡県のある公的機関の先生から、「ホルモン剤か、着色剤でも使っているとしか考えられない」と言われたときは、「では、どうぞ調べてください」と言い返しましたが、その後の返事はないまま。そんな時代だったのです。

原先生は、水出し茶を開発したという静岡新聞の記事を目にして、電話をくださいました。 「水でも熱湯でも、同じくらい風味のあるお茶が、おかげさまでできました」と報告。その日のうちに家へお越しくださり、「よくここまで理解し、頑張ったね」と手を握って涙を流されました。ここまでたどり着いて、感無量。その日は、夜遅くまで、先生と語らいました。


自家茶園の茶葉はつやつやたくましい
「蒸されていない」と思うほどの仕上がり